京都散歩 -孤篷庵・聴竹居-

 こんにちは。月明設計室の中込です。

 少し前になりますが、京都を2度ほど訪れました。6月初旬、通常非公開の建築で7年ぶりの公開と聞き、ぜひ実物を見たいと思い。7月には、雑誌社さんの企画に、たまたま当選し、まだ修復後、非公開の建築を見る事ができました。その時のお話をしたいと思います。

「孤篷庵(こほうあん)」

 小堀遠州(こぼりえんしゅう)という茶人かつ作庭家かつ建築家。大名で、陶芸や華道も一流という何でもできる大芸術家が手掛けた大徳寺の塔頭です。一度火災で焼失し、現在のものは1797年に再興しています。今から200年以上前の建築です。国の重要文化財になっています。

 敷地内部は撮影禁止となっており、その様子をお伝えできないのですが、簡素で凛とした、日本的美の世界を感じることができます。私は桂離宮に通じるような気配に満たされていると感じました。例えが変かもしれませんが、庵のなかだけではなく、庭園にもホコリひとつないような、人の手が行き届いている感じがします。そして、庭園だけではなく、建築だけでもない、庭園と建築が一体となってその良さを生み出している。訪れる人が門入口からアプローチを歩き、建物内部へと、足元、近景、周辺の見え方まで、見えるモノすべてが子気味よく、バランスの良い世界になっています。塔頭はそもそも寺の中にあって、隠居した高僧が住むための小寺院としての一面があるので、住宅のようなスケールで構成されているものが多い為、興味を覚えるものが多い。要はヒューマンスケールですね。

 このスケッチは「忘筌(ぼうせん)」

 孤篷庵の中にある茶室です。この景色が見たかったのです。茶室前の縁側にある障子が上半分だけ、下半分は何もありません。つうつうです。露地となる庭の見え方が好きです。室内と外とのつながり方がいいので、風や匂いや気配の流れがいいし、上半分は、障子なので光の具合もいい。客人は露地から歩みより、障子の下を身分問わず頭を下げて茶室に入る躙り口の役目を果たしています。季節や天候により様々な表情を見せてくれる庭を一歩引いた落ち着いた所からぼぉーっと眺めるのは良いものだろうと想像します。奥ゆかしい日本的美的感性かと。こういう世界をつくった小堀遠州という偉人に感嘆し、こういう世界ができるから人の手でつくっていく建築はやはりおもしろいと思います。

一般公開日はまたあるかと思いますので、ぜひ一度訪れて見てください。

 続いて7月初旬、38度という恐ろしい気温の中で訪れたのは、

「聴竹居(ちょうちくきょ)」

 藤井厚二(ふじいこうじ)という建築家が手掛けた1928年に建てた自邸です。まもなく築100年です。日本の気候風土にあった日本の住まいをつくろうと考えた建築家で、夏の暑さ対策としてクールチューブとよばれる地中の低い温度の冷風を室内に引き込んだり、換気の為の通気口を意匠の中に落とし込み、軒や庇の役割、重要性を解いたりした「環境共生住宅」、今日ではエコ住宅もしくはパッシブ住宅の先駆けと言われています。また、住まいはそこに住む家族の為にあるものとし、当時、まだ客間中心だった日本の住まい(応接室が日当たりの一番良い場所にある住まい)に対して、家族が集まるリビング中心の間取りを計画しています。聴竹居ではリビング隣に子供たちの為の読書室、勉強部屋が良い場所にあったりして、間取りから家族を大切にされていたことがわかります。こちらも国の重要文化財です。通常、事前予約をすると見学が可能です。4年程前にも、一度見学をしたことがあります。

 はじめて訪れた時には、上記のような事が主な評価の見どころではあったのですが、今回、訪れて特に感じた事は、この住まいの「色気」でした。外観からしても日本的でその場所の環境、風土に馴染んだ佇まいなのですが、そこに藤井厚二特有の「色気」を感じたのでした。スコットランドのチャールズ・レニー・マッキントッシュというアール・ヌーボーの建築家の影響を受けていた事は知っていたのですが、その洋風な意匠が、うまく和風の意匠に溶け込んで、藤井厚二ならではの「色気」を出しているようでした。こういう「色気」が出せる建築家は少ないので、良い刺激をもらいました。

 室内の写真はSNS等インターネットでの掲載は不可の為、詳しくはホームページをご覧頂ければと思います。 

聴竹居|藤井厚二 (chochikukyo.com)

(外観は掲載して良いとの事でしたので、外観のみご紹介。)孤篷庵同様、重要文化財になると色々制約がありますね。

 このスケッチは「閑室(かんしつ)」

 同じ敷地内、聴竹居の隣にあり、修復が終わったばかりのまだ非公開の建築です。

 そんな場所を拝見できるとは思ってもおらず、心躍ってしまいました。いずれ公開される予定との事でした。藤井厚二の書斎として使われていたそうです。「閑室」とは、「人気のない静かな部屋」という意味。一人籠って、何か思いに耽ったり、集中して考えていたりしたのでしょう。何とも贅沢な部屋ですが、この部屋がとても良かったのです。こじんまりとしていて、落ち着きがあり、静寂があり、程よい暗さと明るさがあり、使われている素材の吟味も良かったのですが、何よりこの窓辺のソファーコーナーが気持ち良さげで良かったです。

 天井の網代と竿縁に使われている皮付きの自然木、腰窓の障子に、少し独特な格子の入ったガラス戸。手前の袖壁は大きな半円の欠き込みがあり、線と四角と曲線の組合せと、少し暗がりに青みの入ったモスグリーン色(いい色!)の皮のソファーの組合せで織りなす藤井厚二の「色気」です。かっこいいなぁ~と。窓から見える緑が鬱蒼としており、暗がりから見える明るい緑の様子も良かった。修復前の様子は、本を見て知ってはいたのですが、修復後の個々の素材が活き活きしている事もあって、とても素敵な場所でした。藤井厚二デザインの和紙を使った照明も素敵です。まだ非公開ですが、来年の春あたりには、公開予定との事でしたので、機会があればぜひ訪れて見てください。現在、庭や茶室の整備・修復をしているそうなので、完成したらまた訪れてみたいと思っています。

 雑誌「別冊太陽」のホームページの下記に、写真も掲載されていますので、宜しければご覧ください。ちょっとだけ私も写ってます。(ロン毛~です。)

 藤井厚二が設計した住宅建築の名作「聴竹居」および「八木邸」の読者限定見学会を開催 | web太陽 ― webtaiyo ―

 孤篷庵と聴竹居、どちらも写真がない分、その良さはわかりずらいかと思いますが、少しでもその良さをお伝えできればと思い、ご紹介させていただきました。今回は京都を2度も訪れる機会を得たので、その他にも色々巡りました。素敵な場所がたくさんあります。尽きないほどに。

もう一つだけご紹介します。清水寺です。

誰もが京都に来れば一度は訪れる場所ですよね。修学旅行以来です。

「隋求堂(ずいぐどう)」をご存じですか?

 真っ暗闇の中を、手摺を伝い、ゆっくり、しばらく歩むと、一箇所、ぼんやりしたかすかな光が石を照らしています。その光明を見つけるという闇の旅です。普段、闇と言っても、しばらくすると目が慣れ、ぼんやりと辺りが見えてくるかと思いますが、この闇は、完全な闇です。それだけでも驚きでした。「隋求道」は清水寺の敷地内にある寺です。明るい外からお寺に入り、地下に入るように階段を降りると闇の場所があります。闇から光明を見つけ、やがて元の明るい場所に戻る。自然と五感が研ぎ澄まされ、心身がリフレッシュして、体験後は、清々しい気持ちになります。ぜひお薦めです。

 こちらも撮影不可の為、何となくのイメージをスケッチにてお伝えします。

最後に、清水寺近く、

幕末維新ミュージアム「霊山歴史館(りょうぜんれきしかん)」からの眺望

(絶賛、幕末マイブーム!)

 この東山からの眺めは素晴らしい。緑があり、瓦屋根の街並みがあり、シンボルがあり、都市、そして山がある。雲の隙間から光が差す美しい時でした。天から後光が差すよう。歴史を引っさげ、発達していく人々の生の営みとそれを見守る地球との関係を見るようです。ここからの眺めはお勧めです。これだけ魅力的な街を一望できる場所は、他にそうないのではと。京都は、日本が誇るべき文化が集積した場所です。それだけの歴史あります。この場所で京都を俯瞰し、しみじみ思い、何度訪れても発見と刺激をもらう豊かな学びの多いまちだと思いました。

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椅子を置いてみた 大きな掃出し窓のそばに なんだか居心地良さそう 見るような眺めはないけど空が見える 直接ひかりがあたってないのに 明るくて 爽やかで 清々しい 椅子もうれしそう ちょっと休憩したり 本を読んだり お茶を飲んだり そこで過ごす時間がお気に入りになった 縁側のような場所ができた - そこに在る豊かさ ささやかないい時間 いい住まいのご提案をさせていただきます -  

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