帝国ホテル

こんにちは。月明設計室の中込です。

 7月に入りました。今年もあっという間に半年が過ぎました。残り半年。月日が経つのはとても早いですが、自分の人生において、誰の人生においても、今日という日は今日しかない。やれる事を着実に、慌てず、自分のペースで、少しづつ進めて行きたいと思います。みなさんもそうあってほしいと願います。

 サミュエル・ウルマンの青春の詩を読むと元気が出ます。それを教えてくださった安藤忠雄さんを思うとまた元気が出ます。本当にすごい人です。私が建築を職業にしようと思えたのは、安藤忠雄さんの存在のおかげです。たくさん夢と希望をもらっています。住宅に対する作風は違えども、一番勇気をくれる偉大な建築家です。どちらも知ると元気をもらえます。

 誰もが先が読めない世の中。次に何があるのかわからない。誰も答えを知らない、知れるわけがない、相手は自然だから。自然は常に緩やかに変化し、時に大きな変化を人間社会にもたらす。人間は打たれても打たれてもそれにめげず、順応し希望を持って前を向いて生きていく。生きていく為に必要な事をしていく。目の当たりにするとしんどいですが、言葉にすると一連の出来事は、自然の摂理であると思えてくる。めげずに頑張りましょう。

 まだ何となく落ち着かない日々が続きますね。気軽に人に会ったり、出掛けたり、少し躊躇して止まります。昨年の今頃は、自由でした。ちょうど両親を連れて名古屋・伊勢旅行に行きました。その時の事を少し。伊勢神宮のお話もいずれしたいのですが、今回は帝国ホテルのお話を。明治村に行きました。行った事がなかったのではじめて体感した帝国ホテルのお話です。

 

 設計はアメリカの建築家フランク・ロイド・ライト。帝国ホテルは1923年東京都千代田区内幸町に建てられました。8月に完成し、その1カ月後の9月に関東大震災が発生。日本の歴史的大災害に負けずに乗り越えた建築物です。当時ホテル建設に携わった人達の強い意志を感じます。その後、老朽化や客室数の問題から1968年に解体され、1985年に愛知県犬山市に一部が移築保存されました。コンクリート造の移築です。根強い支持者が多数いた事がわかります。

 残されたホテルのロビー。ここだけでもライトの思想が十分伝わります。ホテルとしてはおそろしく天井高が低い。私が持っているライトの本に書いてありました。ライトの身長は176㎝。自身の身長に合わせて天井高さを決めているとの事。わたしもちょうど同じ176㎝。すべてがちょうど良く感じてしまいます。

 ヒューマンスケール。人の身体や気持ちに合わせた最適な寸法。むやみに大きくする必要はないという考え。天井高さが低いので、2階、3階が近くにある感じがします。嫌な距離感ではなく、親しみやすい距離感。ライトらしい装飾がたくさん施されていますが、スケールが小さいので、適度に親しみやすく適度に品があるといえばいいでしょうか。落ち着きます。妻や両親はさっさと別の場所に行ってしまう中、私一人、明治村で滞在した時間の大半をここで過ごし、ぐるぐるしていました。

 ご存じない方の為に、日本におけるライトの存在を簡単にご説明すると、ライトは日本の住宅建築におけるある流れの教祖とも言える存在です。フランク・ロイド・ライト⇒アントニン・レーモンド⇒吉村順三という流れ。吉村系と言っていいのかもしれませんが、吉村順三さんを師と崇める建築家はたくさんいます。またその下の世代もあり、今も伏流水のように日本の住宅に携わる設計者に広く浸透した思想があります。日本で住宅に携わるのであれば通らなければならない世界という感じです。大抵、私たち設計者が行ういいなと思うような設計手法はほとんどライトがすでにやっています。そういう存在です。

 吉村順三さんは子供の頃、帝国ホテルに来て、建築家を志したというお話があります。堀部安嗣さんはご両親が帝国ホテルでデートをしていたので、ここがなければ生まれてこなかったというお話をされていました。…帝国ホテルの存在がその後の日本建築会に与えた影響は計り知れません。

 もし残っていればまもなく築100年。もし東京に残っていれば、間違いなく世界中の人が訪れるすばらしいホテルになっていた事と思われます。使われている所を体感してみたかった。保存されているのは、エントランスとロビーを中心に一部のみですので、全体像をぜひ体感したかった。東部ワールドスクエアに全体像の模型があるそうなので、次はそちらに行こうと思います。インターネットの画像で見る限り、いい感じです、わくわくします、模型オタクなので。

写真は記録映画の当時の本物です。

 築45年で解体され、移築され30年。残されたホテルから眺める明治村の景色もなかなかいいなと思いながら撮影していましたが、もしこれが大都会東京にあったらと思うとやはり残念。

 大袈裟に聞こえるかもしれませんが、これからの時代は同じ過ちを繰り返してはならない。その建築物にある歴史的価値をきちんと認める、そこで特別な時間を過ごした人々の記憶、他の建築物とは異なる文化の蓄積量、その建築物の価値を認め、現状の問題解決、目先の問題解決という視点ではなく、10年、20年、50年、100年とヨーロッパのように古い文化を残すという事が当たり前だという思想が必要。誰もが同じように持っていなければならない。今の日本の技術であれば、残す方法はいくらでもあると思う。

 良い例は、昨年の5月に新しく生まれ変わった神奈川県立近代美術館改め、鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムでしょう。新しい時代がはじまる気がしました。

 住まいも同じだと思います。残すべき価値のあるものは残しながら、不便な所を解消する方法を模索しなければなりません。日本の人口は減っています。これからますます減っていきます。住まいはたくさん残されています。残すべき価値あるものが埋もれています。うまく残しながら、失ってはならないものと変わっていくべきものを見極める必要があります。…偉大な先人に学びましょう。

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椅子を置いてみた 大きな掃出し窓のそばに なんだか居心地良さそう 見るような眺めはないけど空が見える 直接ひかりがあたってないのに 明るくて 爽やかで 清々しい 椅子もうれしそう ちょっと休憩したり 本を読んだり お茶を飲んだり そこで過ごす時間がお気に入りになった 縁側のような場所ができた - そこに在る豊かさ ささやかないい時間 いい住まいのご提案をさせていただきます -  

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